クンストラーハウス

初恋の詩の解説



この歌は、まさに"紗井六耀"の世界・・・そのものといえよう。長い歌詞の音節が流れるようなメロディーラインに載って、独特の節回しを構成している。
曲の構成は、3部の形式をとっているといえる。
 「初めて〜〜」の部分と「木の葉に〜」の部分は、最初の提示部分、そして「時に聞こえる〜」で、曲の"明"のエネルギーは解放される。
和声進行を説明したい為に、一番の歌詞にコードを拾ってみた。Fdor(Maj)で始まった曲は、最初のシチュエーションで情景が表現された直後、にわかに翳りを湛える和声(コード)展開へと移っていく。
翳りのある和声進行が「白い傘を くるくる回し(まわし)ながら」となっているのは、傘の向こうの"その人"の顔が見えていないことへの一抹の"期待"と"不安"を表しているのか?そして、次の音節で「顔を浮かべていた」とマイナー・コードの連結からメジャーコードに向かう、ドミナント和音の"明るさ"で表現されている。なんとも、心に憎い展開に舌を巻く。

楽器のアレンジ(編曲)は当然、平野実貴のものである。他の楽器が入ったことにより、サウンドは柔らか味を増している。特に"クラリネット"という楽器の持つ柔らかさ・甘味が彼女の歌声にとてもよくマッチしている。この楽器は、モーツァルトやウェーバーが協奏曲を書き、ブラームスは五重奏曲、3重奏曲を書き、クラリネットとピアノのソナタなど小曲を書いているので、そちらの方でご存知の方も多い楽器と思われる。

曲のイントロでは、まさに"和弦"の妙が施されている。クラリネットが吹くメロディー・ライン(主旋律)を、ビオラが見事に支えている「和弦」の"妙"が聴かれる。歌のバージョンでは、クラリネットとビオラのみが、伴奏に参加している。
"クラリーノ"と呼ばれる中音域は、他の楽器を柔らかく"包む"力を持っており、小管弦楽においては欠かすことの出来ない楽器のひとつである。その上のオクターブは甘味で豊かなクラリネットがメロディーを吹くために、音楽の神"ミューズ"がこの楽器に与えた"天性"と言える。

次は、"ビオラ"は、音響学的に見て、低音部に当たるチェロと上の2本のバイオリンのサウンド的な"橋渡し的"役割を果たしている。私の耳には、これほどの柔らかい"ビオラ"の音は珍しい。ここでの、ビオラは、クラリネットの陰になり、ファゴットに寄り添いながら、陰に徹している・・・・が、決して埋もれているわけではなく、3人の編成であるこの場合は、欠くべからざる存在といえる。

最後に、演奏版にのみ加わっている"ファゴット"であるが、これまた、ある時はコミカルな作品で、その音質から"おどけた"役回りが多いのだが、モーツァルト、ビバルディー、ウェーバーがこの楽器のための協奏曲(コンチェルト)を書いている。他の場面での使われ方でイメージしていた印象は、見事に覆される独特の世界である。
ぜひ、一度聞いてみてはいかがかと、お勧めしたい。この曲でも、ビオラと共に、低音域を支えている。

その展開されていく"アンサンブル"の陰で、今日全体のリズムとパルスを制御し続けている平野実貴さんのピアノは、時に控えめに、時に前からアンサンブル全体を引っ張っていく。曲全体のダイナミックス(音量)とアゴーギグ(テンポ)を決定できる楽器はピアノだけであるが、もちろん、この編曲をした本人の平野実貴であるから、ピアノで"タクティング"していく。
 そのまま、クラリネット、ビオラ、ファゴットは絡み合いながらメロディーをバトンタッチしつつ、曲はクライマックスの部分に至る。
 3つの楽器のサステインな音色、ラインが入ることによって、ピアノのアタッキーな音色がより美しくアピールされてくるところが、この編曲の特長といえよう。
 
そして、平野実貴の歌は、より膨らみを増しながら、自由に歌いこんでいる。
また、太く豊かな"声質"は、聴くものに安堵の思いを与えるに十分な"柔らかさ"をも兼ね備えている。歌の心である"詞"に沿った声の選択も歌い手にとって大事な力であろう。
 この人の声域は、ソプラノのそれではなく、"アルト"である。特に、この人の低音域での声量の豊かさは、曲数を重ねるごとに深みと、豊かさ(太さ)を増して来ている様に感じられてならない。
 もともと国立音大時代に副科で声楽のカリキュラムはあったはずである。"音程"の的確さは、見事である。彼女に歌うのを勧めた本人としても、「やはり・・!」という感の込み上げるのを禁じえない。
 そして、ジャズやポップスを経ていないキャリアは、"いやみな華美なビブラート"などのない澄んだ説得力を持っている・・・とかねがね感じていた一人として、うれしい限りである。何曲も歌って来る事によって生まれたわずかなバイブレーションは爽やかである。
 
 クラシックの歌手の方だと、歌いこみすぎてしまって必要以上にフレーズを付加しすぎてしまって、帰って歌を別なものにしてしまうところを、この人の歌は"素朴さ"を残して聞くものに訴えかけてくるところにも、大いなる好感を感じさせるものがある。

 もちろんアレンジについても、ご自分で"弾き歌う"曲のアレンジ(編曲)を施したわけで、最初聴く前に編成をうかがった時に、果たしてどのような歌と楽器と「語り合い」が施されているか?・・・を期待した。
 そして、初めてこのアンサンブルを聴いたときに、想いのほか穏やかな内容に、実貴さんの曲に対する"力量"を感じえることが出来た。もっと、歌に絡みつくようなライン(対位法的)の応酬を期待した私の浅はかな趣味は、ある意味、裏切られた。派手な、JazzやPopsのアレンジに聞かれる歌とオーケストラのある種の"対決"的なものに慣れすぎていた私の"下世話な耳"に、新鮮なショックを与えてくださった。

 歌のバージョンで、曲はエンディングへと至り、ピアノのアルペジオに支えられながら、クラリネットとビオラが終楽章をそれぞれリレーしながら、曲の中の表情を引き継ぎつつ、"明"と"暗"を繰り返しながら、緩やかに終わる。

共演者の紹介と実際の演奏